山車まつり

2020下半田春の山車まつり

延期されました山車曳き9月26日(土曜日)、27日(日曜日)共に中止になりました

 



中埜産業前

商工会議所前

西区区民館前

業葉神社

業葉神社

下半田地区

下半田地区は、古くから醸造業や海運業が盛んであり、祭礼の歴史も古く元文4年(1739)の寺社奉行に提出された文書には既に山車が存在していると記載されていています。
この文章によると、下半田村八幡宮祭礼において神輿神幸(みこししんこう)と警固役の山車の曳き回しが行われています。
その後文政5年(1822)9月に同じく業葉神社より寺社奉行に提出された由緒書では、祭礼の内容が一層充実され宵祭りの御神幸の儀式を中心に山車、三番叟、子供神子舞、獅子舞、笹踊り、俄狂言(にわかきょうげん)などの芸能も奉納されていたようです。
これらの文章により現在の下半田地区の祭礼の様式である業葉神社の御神体が神輿(みこし)にて村内をめぐる神幸(しんこう)を行いその後を神幸先神社地区の山車を先行に全ての山車が加わり神輿を警固していく祭礼神事の形態がかなり早い時期から完成されていたことがわかります。
祭礼には北組唐子車・中組祝鳩車・東組山王車・南組護王車の4輌の山車が曳き出されます。
各組の誇る山車は和四郎や彫常などの精緻な彫刻や景文や秀畝などの豪華な大幕・水引・追幕で華麗に飾られ、前棚・上山に玉屋庄兵衛や隅田仁兵衛のからくり人形を乗せ、酒・酢の香りの漂う町並み、下町の古い町並み、半田運河周辺を曳き廻され街を祭り色に染めるのです。
宵の頃、各組の山車は、上山を高く掲げ提灯をともします。その数は、1輌につき約200個(本来は365個)といわれ、まるで山車が闇の世界に蘇ったようになります

中組祝鳩車

山車彫刻は、当時東本願寺の改築工事で全国に名をはせた、半田の生んだ名人初代彫常こと新美常次郎の手により檀箱や脇障子に雄大な「古事記の神話絵巻」が彫刻され、構成美に優れた彫常の最高傑作として誇れるものです。
彫刻材料に黒檀、紫檀、欅等の唐木がふんだんに使用され、台輪、置台輪に使用されている欅、黒檀の材質の良さとその大きさは、他の山車と比べて群を抜いている。
大幕、水引の刺繍の下絵は日本画の名門四鵆条派の流れをくむ池上秀畝の筆により大幕は「波涛」を水引は「群鵆」の刺繍を施し、追幕の刺繍の下絵は地元の日本画家の間瀬淋一の筆により「蘭陵王と火焔太鼓」の刺繍が施されている。
からくり人形は、雅楽演奏により演舞する前棚人形の「太平楽」で大正15年、六代目玉屋庄兵衛の作である。
上山人形の「蘭陵王」は七代目玉屋庄兵衛晩年の名作で昭和57年に作られたものである。
中組祝鳩車の名の由来は、山車の前山懸魚の彫刻「昇鳩降鳩」にちなんでいる。

歴史


ミツカンミュージアム

半田運河と蔵

中埜半六邸

中村公園

ミツカン

街並


中区街並

中区街並

中区街並

中区街並

中区街並

防災訓練


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炊き出し

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